第84回 牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

厚生新編

ヨーロッパで出版された有名な家事百科事典の話です。フランス人のショメールが1709年に著しました。この辞典はやがてオランダ語に翻訳されました。その際に、オランダのことも付け加えて、あたかもオランダの百科事典のように仕立てられ、“Huishoudeliyk Woordenvoek”という書名です。徳川11代将軍家斉の頃に西洋の事情を更に知る必要から、この“Huishoudeliyk Woordenvoek”を当時の有名な蘭学者達に命じて翻訳させました。これが「厚生新編(こうせいしんぺん)」です。

厚生新編

私共は「厚生新編」の乳製品の記述は正しく邦訳されているかを調べてみました。「厚生新編」では、チーズは、「乾酪」という字が当てられています。先程も申しましたように、チーズを「乾酪」とするのは正しくないと思います。一例を示しますと、翻訳に当たった当時の蘭学者達は次のように和訳しています。「「乾酪」は乳を凝固し、大小各種の錠形に充填するものなり。牸牛(しぎゅう=牝牛)、羊乳ともよろし。羊乳は粒を為すと細かな連(なれ)とも膩気(じき=脂肪分)多し。大抵方形を為して売る。牸牛の「酪」は多くは扁(ひらたき)かたちとす。」これを現代語で和訳すると、上に示した図の下段左側となります。
ところが、「厚生新編」は当時の蘭学者が全ての文を訳したかと言うとそうではなかったのです。例えばチーズの部分でも翻訳していない部分がありました。それは「洋乳のチーズには羊の糞の汁を入れることが稀ではない。パセリの汁を入れることもある。これらはスグラヴェンザンデスグルーン(スグラヴェンザンデの緑のチーズ)およびテッセルの小型のチーズと呼ばれる」の部分です。
おそらく、当時の蘭学者はまさかチーズを作るのに糞を入れるなどと想像もつかず、訳しようがなかったのではないでしょうか。このように、訳されていないところが結構あります。例えば、エダムチーズは真っ赤な色をしています。その色は、当時の原典によるとトウダイグサという草のエキスを塗って、人の尿の上において置きます。そうすると真っ赤になる。こういった怪しげな部分は、当時の蘭学者は翻訳していません。

西洋食のシンボル、バターとの出会い

当時、オランダ商館長(カピタン)を江戸に呼んでオランダの事情を幕府高官に通訳を通じて話をさせていました。明治時代が近づいてきた享保9(1724)年に当時の通訳であり蘭学者であった今村市兵衛英生が「和蘭問答(わらんもんどう)」を著しております。その中に西洋人の食事マナーについて説明した部分があり、「西洋人は食べながら手を洗います。そしてただひたすら食べるのではなく、同席者の顔を見たり話をしながら食べるのです。出された物を全部食べてしまうのではなく一盛り残すことがマナーです。パン(原文では「ハム」と表記)を食べます。これにバター(原文ではボウトル)を塗って食べます。」と記しています。

本草綱目啓蒙

「本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)」という書物は小野蘭山(おのらんざん)が弟子たちに講義した内容を筆記整理した書物です。前述の「和蘭問答」と内容は同じような物です。ここで「酪」の作り方や形状・食べ方が書かれていますが、江戸時代も後期になると「酪」は発酵乳のことではなく、バターとして使われています。この時代の「酪」は発酵乳なのかバターなのか牛乳なのか文献をしっかり読まなければ判別がつきにくくなっています。
「「酪」は馬・羊及び馬の乳で作られて、その味は甘い。バター(原文ボウトル)と言う。その形は蝋のようで柔らかい。西洋人は蒸し餅に付けて食べる。悪臭がある。蒸餅は蒸饅頭の餡を抜いたものと言える。長崎ではパンと言っている。」と記しています。

成形圖説

「成形圖説(けいせいずせつ)」という書物は文化1(1804)年薩摩藩主島津重豪(しまづしげひで)が曽槃(ソウハン)に命じて編纂させた百科全書です。ここにも、オランダ人の食事について「オランダ人は朝夕の食事は麦粉を用いて作りそれを蒸したものに「酪」と砂糖をかけて食べます。」と書かれています。この書物で使われている「酪」はバターのことだと思います。

遠西醫方名物考

「遠西醫方名物考(えんせいいかためいぶつこう)」にもチーズの作り方がわかりやすい記述で著されています。

亜行日記

1854年日米和親条約が結ばれ、1858年には日米修好通商条約が結ばれました。それを批准するため日本の武士七十余名がアメリカに渡りました。そこで、様々な乳製品に出会って驚いている様子が彼らの日記に書かれています。その一つが「亜行日記(あこうにっき)」で、勘定組頭であった森田岡太郎清行が著しました。ここにはアイスクリームを見て驚いている様が書かれています。

松本良順による牛乳飲用の奨励

慶応3(1867)年になりますと、いよいよ明治時代が間近になってきます。そのときに幕府の陸軍軍医総監であった松本良順が幕府に提出した建白書を上に示しました。内容は、新鮮な牛乳は滋養に優れ、疲労や食事を摂れない病人に与えると身体の回復に効果がある。母乳の出ない母親は子供に牛乳を与えて育てるべきであることを建白しています。

1 2 3 4 5 6 7