第84回 牛乳・乳製品から食と健康を考える会 開催

本草網目

乳製品を日本に伝えたもう一つの大切な文献があります。それは李時珍(りじちん)が著した「本草綱目(ほんぞうこうもく)」です。「本草綱目」は乳製品ばかりではなく様々な薬草なども掲載してあり、分量が多く内容が充実しています。1596年に上梓され、今日でもこの書は中国でヴァージョンアップされています。この初版本は金陵本と呼ばれ全世界に7組しか残っていませんが、日本には4組現存しています。この書は中国の明の時代に出来たもので、日本では安土桃山時代になります。

酪

「本草綱目」の乳製品の記述の中に「酪」があります。今日で言う発酵乳のことです。内容は、水牛・秦牛(しんぎゅう)・犛牛(りぎゅう)・羊・馬・駱駝の乳でこれを作ることが可能である。牛で作った「酪」を薬に投入するとその効果は優れたものになる。「酪」の作り方は、生乳を半杓(はんしゃく)鍋に入れて煮立たせる。更に、余乳を入れて泡立つまで沸騰させ、柄杓で縦横に攪拌する。その後、缶に移して冷却を待って「浮皮」(クリーム)を掬い取る。その「浮皮」は「酥」(バター)を作るのに使う。「浮皮」を除いた残乳に古い発酵乳を少しばかり投入し、紙で封印すると「酪」が出来上がる。概ねそういう意味のことが書かれています。

本朝食鑑

こちらは、人見必大(ひとみひつだい)が元禄10(1697)年に著した「本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)」を示したものです。この時代には「食鑑」が多く出版されますが、この「本朝食鑑」は最も優れたものとして知られています。この中にも乳製品の作り方が書いてあります。「酥」と「酪」です。
「「酪」は乳を用いて作る。その方法は、「千綱目(せんこうもく)」(本草綱目)に詳しく記されている。「酥」は、またの名を「酥」油と言い「酪」の「浮面皮」(クリーム)のところから作る。日本ではたまたまこれを作っている人はいるが、多くは中国産のものを用いている。」と記されています。

倭漢三才圖會

寺島良安と言う人が正徳2(1712)年に著した「倭漢三才圖會(わかんさんさいずえ)」です。この書物は全105巻、81冊からなる日本初の百科辞典です。
なお、日本初の百科事典と言いましたが、中村惕斎(なかむらてきさい)と言う人が寛文6(1666)年に著した「訓蒙圖彙(きんもうずい)」があります。これは図鑑で植物や動物の絵が多く掲載されていますが、百科辞典には分類されていません。

酪

「倭漢三才圖會」の中にも乳製品の記述があります。「酪」は乳(迩宇=にう=にゅう)の粥(可遊=かゆう=かゆ)にしたものだと大変面白く、興味深い表現を使っています。それ以下は「本草綱目」の記載がそのまま記されています。

西欧型乳製品の導入の胎動

「西洋型乳製品の導入の胎動」についてです。
江戸時代が1603年に始まりますが、直ぐに鎖国の政策が採られ、西洋からの文化は一切入って来なくなります。まして、乳製品についての情報は皆無です。しかし、8代将軍吉宗の時に西洋の文物の必要性、つまり、西洋暦の導入のため暦学関係のほかキリスト教に関係の無い書物の輸入を認めることとし、「禁書令(きんしょのれい)」を緩和しました。また、その文献を読むためにオランダ語を理解出来る蘭学者の養成を図ったことはご承知のとおりです。ここから西洋の乳製品が入って来ることになります。

白牛酪考

「白牛酪考(はくぎゅうらくこう)」についてです。これは寛政4(1792)年幕末の侍医、桃井源寅(もものいみなもとのいん)に命じて作らせた本で、嶺岡牧場(現在の千葉県)の由来と白牛酪の効能について書かれた単行本です。この時代になって来ますと、文献に記されている「酪」は発酵乳なのか、バターなのか、牛乳そのものを言っているのかがはっきりしなくなっております。従いまして、現在の我々は、「酪」がどの乳製品を指しているのかを正確に読み取る必要が出てまいります。この本、つまり「白牛酪考」に記されている「酪」は発酵乳のことです。
「白牛酪考」の記述です。「本草綱目」に恭(きょう=人の名)が「酪」について言っています。つまり、「牛・羊・水牛・馬から「酪」は作られる。水牛で作ったものは味が濃厚で秦牛で作ったものより濃厚である。馬から作ったものは身体が冷える。驢馬で作ったものは最も身体を冷やすために「酪」を作ってはならない。藏器(ぞうき=人名)が言うには、「酪」には「乾酪」と「湿酪」がある。前者の方が生理作用が強い。時珍(じちん=人名)が言うには潼北人(とうほくじん=現在の中国のある地域に住む人)は水牛・秦牛・犛牛・羊・馬・驢馬から「酪」を作っている。」

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