もっと詳しく知りたい方へ

第63回牛乳・乳製品から「食と健康を考える会」

【開催日】
平成22年9月13日(月)
【演 題】
口蹄疫と食の安全保障
【講演者】
帝京科学大学 生命環境学部 教授 村上洋介氏
  • 第63回牛乳・乳製品から「食と健康を考える会」
  • 第63回牛乳・乳製品から「食と健康を考える会」
  • 第63回牛乳・乳製品から「食と健康を考える会」

お話しを始める前に、宮崎県での口蹄疫の発生につきまして、このたび終息宣言が出されたことは大変喜ばしく、また大勢の方々がそれぞれのお立場でご支援をされましたことに対して心より敬意を表します。
それでは、今日は口蹄疫の話をさせて頂きますが、その前に口蹄疫のような国境を越えて拡大する動物感染症の発生の背景を簡単にお話します。

1.越境性動物疾病とは?

国連食糧農業機関(国連FAO)や国際獣疫事務局(OIE)が最近(この10年位)になって、越境性動物疾病という言葉を使い始めています。これは、容易に国境を越えて蔓延し、発生国の経済、貿易及び食料の安全保障上においても重要性を持ち、その制圧には国家間の協力が必要となる動物感染症と定義され、その代表例が口蹄疫です。その他には豚コレラ、BSE、高病原性鳥インフルエンザ、小反芻獣疫、アフリカ豚コレラ、ニューキャッスル病、節足動物媒介性ウイルス感染症などがあります。

ご存じの通り、世界人口は今世紀半ばには90億人を超えると言われており、地域で見るとアジア等の新興国での伸びが大きいのが分かります。また現在の世界人口は68億人ですが口蹄疫清浄国の人口は10億人程度に過ぎません。そうした世界人口、とくに新興国における人口の増加は都市化を伴い、急速な畜産物の需要拡大を招いています。国連FAOが今世紀半ばまでの世界の畜産物の生産量を予測していますが、それによりますと、開発国における畜産物の生産量は横ばいで安定的に推移しますが、これとは対照的に開発途上国の畜産物生産量は飛躍的に増加すると予測しています。つまり、21世紀に入り、国連FAOなどの国際機関が畜産革命と呼んでいる新興国における著しい畜産振興が始まったということです。

この畜産革命の特徴は新興国における旺盛な需要側から引き起こされたもので、60年代後半から始まった緑の革命が多収品種の開発など生産側から惹起されたことと対照的です。こうした著しい畜産振興を支えるにはさらに飼料が必要になりますが、その農地が不足する恐れも懸念されており、新興国の中には国外に農地を求めようとする動きもみられるようになりました。具体的に国連FAOの統計資料をみますと、生乳生産量では21世紀に入り、単独国としてはインドの生乳生産量が北米のそれを超えて世界一となっています。インドの牛の飼養頭数は約2億7千万頭にのぼり(その内約1億頭が乳を搾るための水牛)、現在も毎年増加しています。

こうした新興国を中心にした著しい畜産振興に伴い、動物の感染症、とりわけ、前述した越境性動物疾病が頻繁に発生するようになりました。新興国のなかには急速な畜産振興の一方で、疾病を封じ込める体制が追従していない地域があり、そうした地域から重要な動物感染症が発生し、近隣諸国や世界に感染拡大するようになったことが原因としてあげられます。越境性動物疾病による近年の推定被害をみますと、例えば、90年代後半にはオランダを中心に欧州で豚のウイルス病である豚コレラが発生し、その結果、約900万頭の豚が殺処分され、その被害は約2,300億円にのぼると推定されています。97年には日本と同様に長年発生のなかった口蹄疫が台湾に発生し385万頭の豚が殺処分されるとともに、日本向け豚肉輸出が停止した結果、それまでの年間4,000億円の輸出額を失う事態になりました。イギリスでは01年に口蹄疫が発生して約1.6兆円という歴史的な被害が発生しました。この時の発生では、感染の拡大が広域に及び、それをくい止めるために農村地域を中心に強力な移動規制が行われましたので、このため観光産業などの他産業に及ぶ巨額の被害になったと報じられています。このほかにも、イギリスやアメリカでのBSEの発生や、H5亜型の高病原性鳥インフルエンザの発生による被害も甚大なものになっています。10年前の日本の口蹄疫発生では約100億円の被害でしたが、今回の宮崎での口蹄疫発生では、現在までに約2,350億円にのぼる推定被害と報じられています。こうした越境性動物疾病の発生による経済被害の増加は、こうして時系列でみると、90年代半ばのWTO発足以降に人や物の国際交流が頻繁になってからとりわけ顕著であるようにもみえます。

そうした背景には何があるのか、次に動物感染症の発生に関わる要因を整理してみたいと思います。動物の感染症が発生する際に、その要因として次の3つの要因を解析することがあります。まず、「宿主要因」、つまり感染する動物側の要因です。次に「病源体要因」、そして最後に感染症が発生する「環境要因」です。越境性動物疾病が頻繁に発生して地球規模で蔓延するようになったのは、これらの要因にそれぞれ変化が起きて、動物の感染症が発生しやすい状態に至っているのではないか、そうした考えから個別に見て参りますと、まず宿主要因では、後述するように、感染症を媒介する節足動物も感受性宿主のひとつとして、それら生息域が拡大、変化していることがあげられます。野性動物と人や家畜との接点も増え続けています。また、先に述べたように、新興国における家畜・家きんの飼養頭羽数も飛躍的に増加しています。つまり、動物感染症の宿主要因が変化していると言えるのではないでしょうか。

次に病原体要因はどうでしょうか。家畜においても新しい病原体による新興感染症が継続的に出現しています。これには様々な背景が指摘されていますが、例えば、家畜や家きんの品種改良のため、様々な野生種から遺伝資源を探索するなかで、野生種に存在していた病原体が家畜の中に入ってきたのではないかという指摘もあります。実際に豚などでは4~5年ごとに全く新しい感染症が発生するようになっています。耐性菌や新型インフルエンザのように、気付かぬ内に既知病原体が変化するものもあげられるかもしれません。また、不適切なワクチン使用によって、中途半端な免疫圧力下に変異株が誘導されていることも起こっているおそれがあります。さらに、森林開発で畜産施設が拡大することにより未知の感染症に遭遇(ニパウイルス等)することも現実に起こりました。
環境要因では、節足動物媒介性疾病のように、気候変動が媒介昆虫の生息域に変化を来たし、従来見られなかった地域での新興感染症の流行という形で現れるようになりました。北米におけるウェストナイルウイルス感染症や欧州におけるブルータング(吸血昆虫が媒介する羊や牛のウイルス病)など、節足動物媒介性ウイルス病の拡大と新しい地域への定着はその例です。節足動物媒介性の動物ウイルス病には膨大な種類があり、それぞれに媒介昆虫が絡むことから、この種の動物感染症は生物多様性にも深い関係があります。社会・経済活動のグローバル化も感染症が拡大する要因になっています。人や物の国際交流が活発に行われるようになり、それに伴い動物の感染症も拡大しています。種畜の国際流通も常態化しました。一方で、価格差が密輸や偽装を誘導し、そのために動物感染症が拡大するという経済活動の陰の部分もみえています。多様な食文化、政治秩序の崩壊、継続する地域紛争なども、疾病の封じ込めを困難にし、越境性動物疾病が拡大する環境要因のひとつになっているといえるでしょう。

こうした動物感染症を巡る世界情勢の変化を踏まえ、昨年、演者は日本学術会議のシンポジウムで食料のグローバルな安全保障という視点から、動物感染症制圧のための提言をさせて頂きました。新興国を中心に都市化を伴い人口が増加するなかで、都市を囲むように畜産業(施設)が増えています。本日の主題ではありませんが、東アジアや東南アジアで家畜化された水禽類の飼養羽数が急激に増加していることと高病原性鳥インフルエンザの頻発は無関係ではありません。動物感染症が発生する背景に旺盛な畜産需要が誘導する急速な畜産振興があります。それは畜産における21世紀の新展開として畜産革命と呼ばれるようになりました。今や主な畜産生産国は北の欧米から南のアジアや南米の新興国へ、また寒冷地域から温暖地域へ移行しています。そして、あらゆる面でのグローバル化を伴い、前述した感染症を巡る様々な要因が越境性動物疾病の発生と拡大を助長し、その結果として地球規模で甚大な被害をもたらすようになりました。結論から申しあげると、その制圧には国際的な連携のもとに、学際的な研究の促進と様々な立場からの対策が必要になりますが、本日の命題から申し上げると、日本の畜産物の需給構造を踏まえますと、どうしてもこうした動物の感染症を巡る地球規模の情勢変化をご理解頂く必要があると思う次第です。それは、日本で国産畜産物をどのように安定供給していくかという非常に重い課題にも関連するからであります。

口蹄疫は越境性動物疾病の代表例であり、終息したことは大変喜ばしいことですが、今後も発生しないといえる保証はありません。口蹄疫が発生し、その封じ込めに手間取れば口蹄疫の非清浄国からの畜産物の輸入も断ることが難しくなります。消費者の多くが期待している国産畜産物の安定供給も厳しくなるかもしれません。そのためにも将来的な侵入に備え様々な対策をとっていく必要があるのです。

1 2 3